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聖スイトベルト司教        St.Suitbertus E.            記念日 3月 1日



 英国では今からおよそ1200年前に、イングランド及びアイルランドの宣教師達が、かかるこの世の国ではなく神の御国を広めるために、盛んに活躍したものである。イングランドの南部はもとローマ帝国の植民地で、かなり早くキリスト教が伝えられたから、程なくイングランドからは宣教師が続々と外国、殊にドイツ、オランダ、スイスなどへ布教に赴くようになった。その中に聖ウイリブロルドという人があったが、彼は幾人かの宣教師等を引き連れ、紀元690年オランダのフリースランドに乗り込んだ。聖スイトベルトもその時彼と行を共にした一人であったのである。勿論その地でも十分働き甲斐はあるに相違なかったが、その辺は当時フランス領で王は既にキリスト教を奉じていたから、スイトベルトはまだ全く布教された事のない東の方に行って信仰の処女地を開拓する方が良いと考えた。けれども長上のウイリブロルドは意見を異にしていたので、彼もそれに従わねばならなかった。

 その内に692年、ウイリブロルドはウトレヒト教区新設に関し教皇に出願の為、ローマに赴いたが、その時スイトベルトはライン川地方の司教に選任された。で、彼はその叙任式を受けに英国に行き、任地へ帰ると間もなくウイリブロルドもローマ市から戻って来た。かくて二人は暫く一致協力布教に活動していたが。696年ウイリブロルドがウトレヒトの大司教になるや、スイトベルトは一人ライン地方を司牧する事になったのである。

 彼は自分に譲られたライン河中の一つの島に修道院を建てた。ここから多くの宣教師達は東の方へ行き、盛んに布教に活躍したのである。スイトベルトの努力の効果は大いにあがった。それには彼が宗教のみならず、農業耕作法に就いて教えた事も少なからず役立ったのであった。

 ところが東隣に住むサクソニア人達は迫害を始め、その地に入り込んだ宣教師等を殺し、更に付近のキリスト教徒を襲撃し流血の惨事を引き起こした。その時スイトベルトも敵に捕らえられ、散々殴打されて危うく一命を奪われかけたが、天主の御加護により、又彼の友人等の努力により、ようやく無事なるを得た。
 それから彼はあのライン河中の島に行き、我が身を聖ならしめる為、また頑迷固陋な国民に改心の聖寵を求める為、熱心に断食して祈った。その労は空しからず、後年彼らの大部分はキリスト教を奉ずるに至ったのである。

 聖スイトベルトの霊は715年3月1日帰天した。今なおその島ではこの聖人の記念祭が特別盛大に行われるという。


教訓

 我等はスイトベルトの救霊に対する熱心に倣おう。信者である以上何人もこの熱心はもっていなければならない。まずわが救霊に対する熱心よりして、次に我が子の救霊、更に他人の救霊と、次第に近きより遠きに及ぼすべきである。スイトベルトは救霊に対する熱心から親戚知己を捨てて故国を去った。これは容易に真似の出来る事ではない。しかし救霊の為祈ること、人に善き模範を示す事なら誰にでも出来る。同様に何等かの方法で司祭の布教を助けるのもやはり救霊に対する熱心の現れである。